漁師だった叔父が海の事故で急逝し、急遽日本に一時帰国してきました。
あまりにも突然で、未だに実感がわかず、気持ちが揺れっぱなしです。
姉である母とは10歳近く離れており、そのせいもあって、なんとなく、当然のように叔父も少なくともあと10年は生きているものだと勝手に思い込んでいました。
けんかっ早くて、涙もろくて、強くて、優しい叔父でした。
見た目は布袋様というか西郷どんというか私にはでっぷりしたイメージしかないのですが、若い頃はなかなか甘いマスクだったそうで、その頃は珍しかったサーファーでもあり、アメリカ製の大きなバイクや車が大好きで、派手な服装を好む洒落男だったそうです。
洒落男でも腕っぷしは強く、ある時は態度がでかいと町なかで絡まれ大喧嘩となり、先に手を出してきた相手を殴り倒し警察沙汰になったそうなんですが、倒した相手はヤクザ者で、後日その筋の偉い人がスカウトにやって来たことがあったりなど、武勇伝や逸話にも事欠かない叔父でした。
私は叔父にとっては甥っ子が3人続いた後の初めての姪で、そのせいもあったのか、かなり特別に優しくしてもらった思い出しかありません。
生涯独身で子どものいなかった叔父には、本当の娘のように可愛がってもらいました。
私の生まれ育った家はちょっと変わっていて、夢追い人の父には決まった収入もなく家にもおらず、母一人で幼い子ども五人を抱えるという状態でした。
当然のように常にお金は足りなかったのですが、その頃金銭面はもちろんのこと、何かにつけて気にかけてくれていたのが叔父でした。
叔父は当時自分で採った魚を出す飲み屋さんをやっていて、中学生の頃母の生まれ故郷である叔父の住む町へと越してきてからは、ずいぶんと店にも手伝いに行きました。
夏は海の家もやっていて、毎年手伝っていました。
今年は、周りの反対を押し切って海の家を開きましたが、お客はおらず散々の大赤字だったそうです。
叔父は2年前に生きるか死ぬかの大病をし、懸命なリハビリを経てようやく本格的に復帰という矢先に震災が起こり・・・
叔父が住んでいるのは千葉ですが、その後の風評被害などで漁にも支障が出て、まともに影響を受けてしまいました。
それでも、叔父自身は海の男ですから、まったくめげてはいなかったのです。
その姿にとても勇気づけられていたのに、突然いなくなってしまいました。
海の上での事故なので目撃者も無く、何が起こったのかの詳細は不明なままです。
でも、最期まで生きる望みを捨てていなかったとわかる痕跡があったそうです。
4年前の夏、叔父と私の娘と姪っ子と、海の家にて。
今年の夏は、お客さんは来なかったけれども、かつて海の家にアルバイトに来てくれていたお兄さんたちが、友達や、奥さんや、子どもを連れてわんさかと遊びに来てくれたそうです。
毎年入れ替わりで何人かは遊びに来るのですが、今年は途切れることなくたくさんの人が訪ねてきてくれて、歴代のアルバイトが勢ぞろいだったとか。
「まるでお別れのときを知っていて、みんなが挨拶に来てくれたみたいだ」
と母は申しておりましたが、理由はカンタン、今年はみんな千葉の海を、叔父の海の家を心配して、遠くからはるばる様子を見に来てくれたんですね。
叔父が亡くなった後、夏に遊びに来てくれた方々から、たくさんの写真が集まりました。
写真の中の叔父は、どれもこれも幸せそうでした。
海の家は暇だったから、みんなたっぷりと叔父と話ができたそうです。
みんな、本当にどうもありがとう。
私はというと、すぐに航空チケットを手配したにもかかわらず、火葬にすら間に合いませんでした。
父が亡くなったとき、結局最期に間に合わなかったときのことをまたも思い出してしまいました。
おじちゃん、ごめんね。
なんだか未だに気持ちがふわふわしていて、まとまりません。
徐々に復活していきますので、またよろしくお願いいたします。
叔父様の訃報を聞き、驚いていました。
夏は海の家をやられたと聞いていたので叔父様に何があったのかと思っていました。
KYOさんの叔父様への思いを読むと居たたまれない気持ちです。
昨日はKYOさんのお誕生日でしたよね。
お祝いする気持ちにはなれないのかもしれないですがこの世に生受けた日です。
どうかお母様とともにちょっぴりでもよいのでお祝いして下さい
最後になりましたが、叔父様のご冥福をお祈りいたしております
▼づみさん、
ありがとうございます。
海の家は、昨年手伝いにいけただけでもよかったかなー、と思っています。
でも、今年も手伝いに行きたかったです。
素敵なおじ様ですね。ご冥福をお祈りいたします。大事にしてくださった方が亡くなるというのは、悲しみと寂しさと、なんだか複雑な思いが入り混じって・・・・・。
長い間、blogを更新されていらっしゃらなかったので、急に何かあったのかな?と感じていました。
そして記事を読む、つい10分前にキッチンの片づけをしながら「KYOさん、不幸でなければいいのだけれど・・・・・お子さんたちの長期の休みで~~~~~」と思ったところでした。
KYOさまの思いが、おじ様に届きますように。
▼たいゆうさん、
ありがとうございます。
娘の春休みがちょうど重なっていたので、娘も連れて行けました。
娘も本当の孫のようにかわいがってくれたので、お別れに連れて行けてよかったです。
お悔やみ申し上げます。
親しかった叔父さまがなくなられて、本当に残念ですね。
ご病気からお元気なられていただけに、悔しいですね。
でも、叔父様は海の男、病院のベットでなくなるより、海で元気に仕事をしながら、海でなくなるのは本望だったのかもしれませんね。
海外に住まわれて、お身内の死に会われるのは、本当に残念でしょうが、あまりお気を落とされずに過ごされてください。
ブリスベンの生活ブログ再開されるのを楽しみにしています。
▼マキチャンズさん、
ありがとうございます。
母も、海で亡くなったのは叔父らしい最期で、本望だったろうと申しておりました。
私も、病院で亡くなる叔父というのはイメージできないので・・・
でも、いまだに信じられなくて、日本に帰ったらそこにいるような気がしてしまいます。
ちゎ?
火葬に間に合わず顔も拝めず…それでも気持ちや想いは届いた筈。
うちのママが逝った時は、朝出掛けに心ん中で呟いたっけ…バイバイと。
そりから4時間後だたなぁ…電話山盛り携帯に来たけど帰れず?
まぁ、仕方が無い事なんざ沢山あるで、メゲても生きてくべさ(/_・、)
元気で暮らす☆が供養になるから。
▼じょ→さん、
じょ→さん、お母様を亡くされておられたんですか…
あっちでもこっちでもやさしいお言葉ありがとうございました。
ホント元気付けられました。
元気で生きたいと思います!
おじさまのご冥福を、心からお祈りします。
突然の海の事故での訃報、本当に悲しい出来事でしたね。
こちらでも、海難事故が起こったばかりなので、とても他人事とは思えません。お気持ちお察しいたします。
おじさまは、タオル鉢巻がとってもお似合いで、まさに、いきで情の厚い海の男を貫かれた方だったということが、KYOさんの追悼の文章の中からたくさん伝わってきました。
▼バラカさん、
そうですか、そちらでも海難事故が…
今年はなんだか、いやなことばかりが続いていてかなり凹んでいます。
ですが、私が凹んでも仕方ないので、負けません!
暖かいお言葉を、ありがとうございます。
心より叔父様のご冥福をお祈り致します。
叔父様にとって今年の夏はきっと心に残る
幸せな夏だったのではないでしょうか。
歴代のアルバイトの方々が勢ぞろいされるって
なかなかない事ですものね。
叔父様の人柄を物語っていますね。
亡くなられた方の事を思うだけでその方の供養に
なるそうです。
三輪さんがおっしゃってました。
KYOさんのお気持ち、きっと叔父様に届いていると
思います。
▼Rooさん、
そうですね、きっと幸せな夏だったと思います。
私が生きている限り、叔父のことは忘れません。
暖かいお言葉を、ありがとうございます。
good-by アジョシ!
KYOちゃん
アジョシは守ってくれるよ!
時間がすべてだ・・・。
▼binnさん、
binnさんは、もっと大変でしたよね。
私、binnさんのところにはちゃんとコメント書けなくて…
申し訳ありませんでした。
お兄様のご命日ももうすぐですよね。
時間がすべて、そのとおりですね。
ありがとうございます。
いざという時に離れているってのはつらいですよね。
私は新幹線ですらなんとのろく感じたことがありました。
ましてや在外ですから…。
大切なものを失ったときはちょっと休んで、また遊びに出てきてくださいね。
▼虹のパパ黒山羊さん、
暖かいお言葉を、ありがとうございます。
父のときにも、黒山羊さんには励まされました。
母の時には後悔しないようにしたい、と思っているんですが、気持ちが揺らいでしまいました。
でも、きっと何をどうやったとしても、「後悔しない」なんてことは不可能なんでしょうけれど…。